「内側と外側に同時に気づいている状態」を作る。
そのために、手の形は親指と人差し指を付けた状態にする。
さて、この自分の内側に気づいて、外側にも同時に気づいている状態。
その感覚はどういう感覚だろう?
一度、体験した感覚としては、
例えば、お昼ごはんを食べる食堂の奥に扉があり、
そこからスタッフの人たちが出入りしているのが見えたり、
という感覚である。
しかし、嫌なことを避けたりできる、という感覚はまだつかめていない。
「静寂」というのは、この技のキーワードになのだと思う。
それはつまり、当然、独り言を言ったりはせず、
かつ、心の中でも言葉が発声されていない、ということである。
これが結構難しい、ただでさえ独り言を言ってしまうことがあり、心の中の言葉など、それ以上である。
また、「淡々とやる」ということも大切なポイントのようだ。
思考に邪魔されなければ、できるのだろうか?
また、「気づいた感覚」をどれぐらい維持できているだろうか?
思考が働くと、気づいた感覚は邪魔されて、
バランスが崩れてしまう。
「今、バランスが崩れたぞ」、ということを認識できるようになることを
まずはやっていこうと思う。
そのことに気づいた段階で、思考に邪魔されない、中心を掴んだ状態に戻す、
これも、できるかどうか試していきたい。
別の業として、親指を握り込むことによる、
外部との遮断の感覚もまだつかめていない。
外部と遮断することで、内側が外側の世界の影響をうけなくなる、ということである。